2015年秋のメモ【存在】 (2019/03/31)

たくさんのモノが、
多種多様のモノが有り、溢れ、余り、
これじゃなきゃいけないということもない。
たまたまそれと出会ったからそれを好むようになっただけ。
出会うこともないものを必要としない。
出会いさえすれば気に入るかもしれないが、
その存在を知らないのだから、知らないまま平気で生きていける。

私の作るモノなんか知らなくても生きていける。
家族や相方でさえもそうなのである。
ましてや、他人なら尚更、
私の作るモノなんかどうでもいいだろう。

存在を知られるための努力。
他人に必要とされるための努力。
現状を変えるには必要なモノ。

自分一人で何でもやらないといけない。
時間が足りない。
多く作ればいいというものでもないが、
全部自分でやらなくていいなら、もっと作れる。
未完成のものを増やしたくないから、
スローペースにせざるを得ない。
他の人と協力して時間を短縮できれば、
作れるモノも増えるだろう。

ひとりの人間が一生かけても聴き切れないほどの音楽が、
もうすでに存在しており、
多くの音楽が埋もれる運命をたどるのは明白。
これからも埋もれるのが分かっているのに、
日々次々量産されていく音楽。

時間が進めば進むほど、
私の音楽は、他人にとっては見つけ出すのが困難になっていく一方。

これから、死ぬまで、
その際限なく高くなり続ける壁に立ち向かわないといけない。

壁を超えられないまま死ぬかもしれない。

死んでもなお、音楽の数は無限に増え続け、
その壁も無限に高くなり続ける。

死後のことなど関係無い。
しかし、
音楽が無限に増え続ける未来を考えると恐ろしくなる。

音楽に限ったことではない。
どうでもいいデジタルデータが日々膨大に蓄積されて行く。
そんなもの残してどうするの?バカじゃないの?としか思えない、
他人から見れば無価値なものが…

自分も日々の思い出をたくさんのデータとして残している。

「残す」

これ自体は簡単な作業だけど、
残し続けたら、自分が死んで、いなくなった後まで、残る。

今見られたら死ぬほど恥ずかしいものだって、
死んだ後なら恥ずかしがりようもないけど、
今の生きている段階では残したくないと思ってしまう。
死ぬ前に消さないといけない…と。

そんなことを考えていたら、
「残す」ことがバカバカしく思える。
大っぴらに見せられるわけでもないものを残し続ける…
消さないといけない日が必ず来るのに。

虚しい。

突然の死で消すことができないかもしれない。
それはそれで結果は同じ。
死んでしまえば残したモノなんか、
「自分」にとって意味も何も無い。
「意味」を感じる「自分」そのものが存在しないのだから。

そう、音楽を多くの人に知ってもらえて死んでも、
知られないで死んでも、結果は同じ。

私の音楽を聴いてから死んだ人。
聞かないで死んだ人。
たいした違いは無い。

生きている間に、いかに満足する結果を得ようとも、
死後にそれを持っていくことはできない。
生きている時間そのものが幻のようなものだ。



今の知識を持って20年前の自分の中に戻れたら…と考える。
今日も聴いたあの歌手のあの曲は、
戻った過去から20年後に同じように生まれているだろうか?
私ひとりが未来の知識を持っていて、
そのことを隠していたとしても、
私の判断が変わり、行動が変わり、人間関係も変わり、
他人の人生にも様々な影響が出てくるだろう。
私はこれまで作ったものと同じものも作れるだろうけど、
もちろん違うものも作れる。
過去ではまだ誕生していない他人のヒット曲を
自分のものとして発表しても著作権侵害とはならない。
例え、そんなことをやったとしても、
ヒットする保証は何もない。
誰がいつ発表するかのタイミングが重要。
曲が良くても、
誰が歌うかで聴いてもらえるかどうかに大きく違いが出る。
曲がそんなに良くなくても、
影響力のある誰が歌えばヒットする場合もある。
それも結局は、運次第ということなのか?


現在の自分は、これまでの様々な判断と行動の結果の集合体である。

他人も同様。

過去のどの時点をとっても、
その行動が違っていればその未来は今とは別のものとなる。
すべての人間が過去に戻りたい・過去を変えたいという願望を持ち、
それが叶うのであらば、
異なる未来が次々に生まれてしまう。
「現在」という特定できる状態が存在できなくなる。
もう、わけがわからない。

過去なんか変えられたらいいかもしれないが
「現在」は「現在」でなくなる。
自分の歩んできた人生は記憶として残るけど、
他人の歩んだ人生はリセットされて、ある時点に強制的に戻される。
それに気付くことはない。
幸せな人生を歩んでいた人が、
私が過去に戻ることによって不幸な人生を歩むことになるかもしれない。
その逆もあるかもしれない。

こんなことをいくら考えても過去は変わらない。

「現在」は自分だけでなく他人の様々な判断と行動の結果の集合体でもある。
自分ひとりではこんな「現在」は作れない。
良くも悪くも人任せ・成り行き任せの部分がほとんどである。



自分の存在は、
自分にとって重い。
ずっしり、重い。
だって自分は自分以外の何物でもないのだから。

しかし、
他人にとっての自分は、
想像をはるかに上回る軽さだ。
軽すぎる。
絶望的な軽さだ。





私が死んだところで、
私が一方的に好きなだけの人々は何も悲しまない。


死んだら悲しんでもらいたいなんて、
生きている人間の欲求でしかない。
誰も悲しまなくたって、
死んでしまえばどうでもいいだろう。

人の死は、
後に残された人間にしか意味が無い。




※以上、ほとんどがコピペです。
ほんのちょっとだけ書き直した箇所があります。
リンクは似たような内容の歌詞が含まれる曲へのリンクです。